百折不撓

データ系の新米エンジニアとして戦闘中。

水やり

 前回書いた時に既に解除されていたかもしれませんが、コロナウィルス流行に伴って出ていた緊急事態宣言が解除されました。それでも、未だに外に出る時はマスクしてますし、街に出ようかとふと思っても、始めに及び腰な気持ちが出てきます。まぁ、そもそもそんなに外に出るような気質じゃないのですが。

 それでも、流石の自分も鬱屈としてきて、2時間ほどの散歩をしてきました。ホントは走りたかったのですが、膝の状態が怪しい(早く整体行きたい)のと、マスクしながら走るのは流石に危険だと思い、歩くことに。あまり人の多い地域に現在住んでいないので、2時間の間にすれ違った人数は30人はいっていないかなと思います。鮮明に覚えているのは、黄色のシャツ着て走っていたあんちゃん(3回くらい出くわした)と、ステテコ穿いて歩いていたおじいちゃん。
 散歩をする時に、方向は一緒になる事が多いですが、よっぽどの事が無い限り行き先を決めません。また、相当の方向音痴なので毎回違う道を歩くことになります。そうすると、途中で「あっ、この道に出るのか」とか、めちゃくちゃ古そうな看板だったり、大きなお寺を見つけたりと小さな発見がたくさんあります。
 出不精の自分にとってはその度に「やっぱ外に出んと枯れるわ」と、こんな小さな発見から何度も学びます。因みに、どの辺歩いたのかを今、グーグルマップで確認したら、思っていた方角とだいぶ違っていて驚きでした。

 外側の発見だけではありません。歩いていると考える余裕があるので、自分の中にも見つけられる事がありました。これは友達にも指摘された事があったのですが、僕は家が好きな様です。友達には車に乗っていて、「お前さっきから大きい家の事ばっかじゃん」と指摘され恥ずかしかったのですが、どうやらさほど大きくなくとも家を見ると、「いいなぁ」と感じてしまいます。そう言えば、幼少期もマンションや家の広告をよく見ていました。
 思うに、僕は“家の中”に人よりも執着と言うか、安心感があるのでしょうね。どこかに定住したいという気持ちはないのですが、賃貸で部屋を借りていると、自分の場所だけれど、ホントは自分の場所じゃない感があり釈然としない(東京の家賃の高さは異常だったなぁ)。その不安感から、家を見ると羨望のまなざしで見てしまうのでしょう。

 ホイポイカプセルがあれば買いたいのですが。うーん。更な技術の発展が望まれます。