百折不撓

データ系の新米エンジニアとして戦闘中。

I'm a tiger

 昔話をします。
 高校2年生の夏休みのほぼ全て、親にお金を全部出してもらって、ボストンの語学学校に通っていました(お金を出してもらうって事にホントに理解が足りない人生でした)。

 始めの数日特に初日は本当に何言ってるか分からなかったので、日本人のお姉さんに訳してもらってましたが、2週間くらい経った頃でしょうか。いわゆるネイティブの人がまともに喋るのは流石に厳しかったですが、語学学校の他の国の人となら普通に(?)日常会話位なら出来るようになりました。
 仲良かったのはイタリア、中国、台湾の人たちで、特にイタリアの人にはホント仲良くしてもらってました。お互いクソみたいな発音でしたが、そのうち「ああ、LとRは意地でもはっきり発音するのね」って理解できるようになり、ずっと一緒にいました。
 男二人で水族館行ったり、買い物行ったり、、、今思うと、あれ?って感じですが、性的に求められているって感じでもなく、ホントに友人として仲良くしてもらえました、たぶん。丸眼鏡かけた背高のっぽさんで、日に滅多に当たらないハリーポッターみたいな雰囲気でしたが、ある日、語学学校の生徒でサッカーした時にホント楽しそうで「やっぱりイタリア人なんだな」と笑ったのはいい思い出です(しかも、結構上手かった)。
 多分、その彼がいてくれたからでしょう。アメリカにはすごい良いイメージがあります。楽しかったのです。もちろん彼だけじゃなく、アメリカで会って未だに稀に連絡取る日本の友人もいたし、すぐハグしてくる南米のお姉さんたちもいたし、サッカーで一切守備はしない別のイタリアの人もいたし、ホームステイ先や寮での生活を心配して声かけてくれた、”曖昧”って日本語が好きなコーディネータのアメリカの人だったり、お金払っている間たくさん話してくれたナイキショップの店員さんだったり、うっかり治安悪い地域に入ってしまったら「どこ行きたいんだい?こっちの電車に乗って戻りなさい。一人でこんなとこ来ちゃダメだよボーイ」みたいな親切な車いすのおじいちゃんだったり、良い出会いが沢山ありました。
 子供だったから優しくしてもらえた、僕はきっと何も分かっていなかった井蛙なのでしょう。でも、いろんな国の人と楽しく過ごせた国で、楽しくない事が起きているのはやはり悲しくなります。

 歴史を知らない、勉強していない人間がこれ以上、感情以外の言葉を吐くのは違うと思うのでここで止めますが、悲しいです。