百折不撓

データ系の新米エンジニアとして戦闘中。

人の気持ち

 ついさっき、将棋のネット対局をして勝った。個人的には将棋は負けるゲームなんじゃないかと思っているので、あまり勝ったとは言いたくないのだが。相手がこちらの手番、考慮中に投了して回線を切断してきたから、相手方の反則でこちらの勝ち(将棋は自分の手番の時にしか投了できない)。局面的に、こちらの駒得が確定して敵陣に攻め込めそうだが、相手にも暴れる手段がありそうと感じたので、危ないところはないか、どちらの手が得か何て事をちっぽけな頭で必死に考えていた。勝てそうと勝ったは、全く違う。特に、お互いに大した棋力もないので平気で間違えるし、一手の悪手で逆転なんてすぐ起きる。そう思っているから自分なりに真面目に考えていただけに、残念である。色々と裏切られた気分だ。さみしい。

 つとに思っていたのだが、最近やはり思う事がある。それは、電車の乗り降り、ホームへの階段・エスカレータの乗り方についてだ。年齢の問題でもないけど、少なくとも20歳くらいまで生きていれば、乗り降りは降りる人が先で、その後に乗る人が乗るという流れに気付くはずだ(ああ、気付いているけど、何とも思っていないから平気で乗り込んでくるのか)。
 また、乗る人が多いときは、乗った後すぐに立ち止まらずに座席の前の辺りまで入った方が良さそうという事に気付けるはずだ。たまに、扉付近で人が混み込みして、座席の前のつり革の辺りは空いていることがある。人間は平衡状態を嫌うのだろうか。
 話が逸れたが、階段・エスカレータの乗り口・降り口付近についても然りで、「なんでそこでノロノロ歩く。立ち止まる。スマホはやめて。後ろが詰まっちゃうでしょ。」と苛立つことが多々ある。


 どれもちょっと周りの人や前にいる人のことを考えれば、お互いが幸せな方向に進んでいくと思うのだけれど。まだ僕にはなぜこうなってしまうのか理解できません。
 ただ、自分も周りから見て、特に詰将棋しているときとか、きっと気持ち悪いだろうし迷惑だろうし、他にもワガママな振舞いもしているんだと思います。なので、小奇麗なまとめ方をすると、人にイラっとしたら自分はどうなのか見つめ直すチャンスにしていけたらいいですねって話ですねって。