百折不撓

データ系の新米エンジニアとして戦闘中。

冥福

 大学の時の研究室の先生の訃報を聞いた。
 亡くなったのがいつなのか正確なところが分からないけれど、去年2019年の12月には亡くなられていた様である。

 世話になったかと言われると、感謝の気持ちで心が揺さぶられる事もなく、逡巡してしまう。
 先生との一番古い記憶は、大学1年の頃に受けた授業であるはずだ。この授業はmathematica と言うソフトウェアを使って、色々な計算をしてみましょうと言う、後々のCやC++の為にまずはパソコンに慣れましょうという授業だった。今じゃもう解けない気がするが、減衰振動の微分方程式を解いてもらってえらく感動した覚えと、虚数が発生してエラーを吐かれ苦汁を飲まされた覚えがある。
 その次は大学2年の時だったはずだ。基礎統計学の授業だったが、さっぱり分からなかった。こういう所を突き詰めるのが学問の道なのだろうが、僕は道に憧れるだけど、そんな事はしなかった。今更に恥ずかしい。因みに、この単位は一度落とした。ただ、先生は甘い人で、夏休み前に「点数が足りないので、レポート出してください。」と言った旨を僕の学内メールに送ってくれていた(これに気付いたのは夏休み後であったが)。学生から見ると、どの授業も大らかな人だった。悪く言えば、テキトーな人だった。いつも、ニコニコ微笑んでいるような人で、心地の良い人だったように思う。
 次に会ったのは、大学4年。研究室配属された時だ。前期の間は週一でLeoの黄色本の輪講を4年生で行ったが、それ以外に何を言われたかはさっぱり覚えていない。何かやれとテーマを与えられた覚えもない。4年生のメンバーそれぞれが、研究室内にあるいくつかのオプションを提示され、それぞれが興味のある所にいった。人によっては研究室のNIMやらCAMACで遊び、人によってはKEKに行って遊び。僕はこの時、ミューオンの寿命測定を行った。

 朗らかな人だったが、厳しい人だったのだと思う。僕らは自分たちで選んで、自分たちで試行錯誤しなければ、何かしらの成果を出すことができなかったのだから(僕はうまく寿命を測れなかったが)。けれど、それは研究であったり、学問の道に進むには必要な態度、素養なんだと思われる。自分で考え、自分で決めて、行動する。そういうチャンスを貰えたのだ。いろんな視点から先生の事を見る事は出来るが、僕から見た先生は、そういう事を僕の人生に加えてくれた。あんまり期待通りの結果は出せなかったのは、本当に今でも悔しいけれど、気付ける事があったからそこからどうするかが、肝要だ。教えてもらった恩は、次に繋げて返さないと水の泡だ。

 「ご冥福をお祈りいたします。」と言う言葉がある。僕はあまり好きじゃない。先生の死後を祈るという事は確かに意味がある事なのだと思うけれど、それよりもまず僕は悲しいし、寂しい。先生の事を思うと、今はそれ以上の気持ちは浮かんでこない。この気持ちはこのままに、明日も仕事ちゃんと自分の出来る限りに行いたい。